東日本大震災復興建築プロジェクト
岩手県山田町消防団は地震発生時に堤防に走って水門を閉め、津波後は屋根に上がって助けを求める人を救助し、おぶって避難施設まで連れてゆき、奇跡的に残った数隻の船に飛び乗って溺れ流されてくる人の手を一人でも多く掴んで引き上げる事に命をかけて挑み、300名程の方を安全な所へ誘導しました。13分団ある消防団全体のなかで9名が殉死し屯所や機材(すべて自分達の力で購入したようです。)を全て失ってしまいました。ご遺体の捜索、泥まみれになったそのご遺体100名程の方々の顔をペットボトルに入れた水できれいに拭いて遺族の元に届けるという辛い仕事も率先して全て行いました。同時に多くが漁師さんである消防団員の人達は家も職も失った。そういう厳しい現実の中で消防団員の人たちは、山田町の皆の悲しみも含めたいろんな思いと歴史を風化させないため、とにかく皆の心が集まる場所、一致団結する場所、休む場所を求めていた。消防団のその崇高な精神に感動した私は物資的利益を求めず、政治的有利な立場を求めず、既得権を得ることを考えずに、ひたすらひとりでも多くの人にこの東北で再建すべきものは人間の尊厳であることを伝えようと思い、仮設や簡易な建物ではなく、永遠に構成に残していく、大地と人びとの心に捧げる建築を求めた。厳冬の中一日も早い復興を支援すると共に、東北職人の技術を校正に伝え子供に繋いでいきたい、コミュニティがますます活性化し、発展する契機となることを願い建立し、寄贈した。将来は地域の文化や芸能を伝承していく地域交流館として継がれていく。
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